Uncharted Tokyo 1| 南沢あじさい山 一人の夢から生まれた、持続可能な自然の奇跡

東京といえば、渋谷や浅草などのにぎやかな街を思い浮かべる人が多いかもしれない。けれど、都心から少し離れた多摩・島しょ地域には、まだ知られていない“もうひとつの東京”が広がっている。海や森、集落の暮らしの中で出会う体験は、ただの観光ではなく、心を動かす旅の入り口だ。環境に配慮しながら、好奇心と冒険心の赴くままに進む——それが、いま世界で注目される旅の新しいかたち。「Uncharted Tokyo (あなたの知らない東京)」へ、今こそ踏み出そう。
By AAJ Editorial Team東京都あきる野市の深沢地区、武蔵五日市駅から車で約10分の山間に位置するこの場所は、新宿から電車でおよそ90分の距離にありながら、都市の喧騒とは無縁の自然豊かな環境が広がっている。中でも、南沢あじさい山は、毎年6月から7月にかけて約1万5,000株のあじさいが山の斜面を埋め尽くすことで知られる。単なる花の名所にとどまらず、持続可能な観光を実現するための、環境に配慮したさまざまな取り組みがされており、訪れる人々にとって特別な学びと感動を与える場所だ。

東京の奥に広がる、サステナブルな里山

あじさい山は、雄大な自然景観に恵まれたあきる野市に位置している。
南沢あじさい山の最寄り駅、JR武蔵五日市駅は、五日市線の終着駅。秋川渓谷や低山の登山口が点在する、“都心から一番近い里山エリア”の玄関口となっている。駅周辺は川と集落の風景がゆるやかに続き、四季の自然とともに静かに過ごせるローカルな雰囲気が魅力だ。この駅を起点に谷沿いへ進み、南沢あじさい山へ向かう。
整備された山道と、見上げるほどに広がるあじさいの斜面。その景色は口コミやSNSを通じて評判となり、人気スポットへと成長した。一方で、来場者の急増によって、交通渋滞や騒音、自然環境への負荷といった問題も。特に自家用車での来場が増えたことにより山道の混雑は深刻で、地域としても対応が急務となっていた。
こうした状況を受け、あじさい山の地域では、あじさいの開花期(6月〜7月)のシーズンに限り、地域住民への配慮と自然環境の保全を目的とした、来訪者の「マイカー規制」を2020年から導入。谷沿いの細い道路への乗り入れを制限し、代わりに武蔵五日市駅からのシャトルバスや徒歩でのアクセスに一本化した。導入初年度は前年最大1万5,000人だった来場者数が約7,000人にまで半減したが、その後は環境配慮への共感や安全面の向上により支持が広がり、現在は年間おおむね1万人規模に回復している。来場者の滞在時間も長くなり、周辺店舗への経済波及効果も安定してきたという。
この規制は、単なる交通対策以上の転機だった。南沢あじさい山では、自然保護と観光振興を両立するためにマイカー規制を導入し、「守りながら魅せる」運営体制への転換が進められてきた。
他国の事例では、アメリカ・ユタ州南西部に位置するザイオン国立公園も、2000年以降シャトルバスによる車両進入制限で大気汚染・騒音を抑え、渋滞も緩和してきた。2024年にはそのシャトル車両を完全電動化して環境負荷をさらに低減したモデル自治の先進例となっている。
また、日本でも上高地が通年マイカー規制を実施し、麓の駐車場からシャトルバス、タクシーのみで山へ通行させる「車のない観光地」政策を実施している。これにより、植生への影響を防ぎ、渋滞や交通事故のリスクを抑えながら、景観保全と快適な来訪体験を両立させている。
その背景にあるのが、地域住民やボランティアによる保全活動の継続的な支えだ。地元団体が主体となり、山道の整備や清掃、剪定作業が行われており、この地の美しい風景はそうした地道な努力のうえに成り立っている。「来てくれた人に、静かな山の時間を楽しんでもらいたい」という想いが、地域全体の合意として醸成されてきたのだ。

現地へ向かうルートには、マイカー進入制限を告知する標識が設置されている。

来訪者は、シャトルバスを利用するか、駅から歩いてアクセスする。

開園時には、来訪者が受付カウンターに列をなす。

新しく改装された入り口は地元の木材で造られ、公園全体のサステナブルな建築手法を象徴するものとなっている。

一本のあじさいが、山全体を染めるまでの物語

道沿いの標識には、南沢あじさい山をつくった南澤忠一さんの物語が記されている。
南沢あじさい山は、元々は観光地を目指してつくられたものではない。地元住民の南澤忠一さんが、両親の墓へと続く山道を「花道にしたい」という想いで、自宅裏の山にあじさいを植え始めたのがきっかけだ。誰に見せるでもなく、自分と家族のために、少しずつ山の手入れを重ねながら花を植えていったその行動が、やがて人々の心を打ち、南澤さんは“現代の花咲じいさん”として知られるようになった。
50年の歳月をかけて育てられた約1万5,000株のあじさいが、山の斜面を染め上げる。訪れる人々は、その景観の美しさだけでなく、その背景にあるストーリーにも心を動かされている。だが、この地を維持するのは容易ではない。南澤さん一人で続けてきた整備には限界があった。

道沿いの標識には、山の一区画ごとに、植えるのにかかった年数が記されている。

アジサイは品種によって開花時期が異なるため、季節を通じてさまざまな彩りを楽しむことができる。

想いを受け継ぎ、自然と共に歩む二人の挑戦

株式会社 do‑mo 代表取締役 高水健さん
南沢あじさい山の運営を支えるのは、株式会社 do‑mo の代表取締役を務める高水健さんと、共同で活動する南嶋祐樹さんだ。二人は地元・あきる野市で、2016年に地域密着型の企画会社do-moを立ち上げ、カフェやレストランの運営、食品開発、観光スポットづくりなど、まちに根ざした幅広い事業を展開してきた。
その活動の一環として、地域の名産品を掘り起こそうと「あじさい茶」の商品化に取り組んだことがきっかけで、彼らは南沢あじさい山を訪れた。そこで、長年にわたり一人で山を整備し続けてきた南澤忠一さんと出会う。
「自分がいなくなったら、この山も終わってしまう。あとは頼む」そう忠一さんに託された高水さんは、「あじさい山は東京の宝だ」と直感した。単なる観光資源ではなく、地域の自然と人の営みが作り出したかけがえのない風景を守りたいという思いが芽生え、「次世代へ継承したい」と強く決意した。こうして2018年から南嶋さんとともにあじさい山の保全活動の運営に本格的に加わり、保全と活用の両立を目指す体制を整えていった。
高水さんは全体統括やブランディング、対外発信を担当。SNS運営やプロモーションのほか、マイカー規制や持続可能な運営体制の導入など、地域や行政との調整役も担う。一方、南嶋さんは、主に植物の管理を担当し、1万5,000株を超えるアジサイの剪定や育成作業、苗の栽培、新しい区画の植栽準備などに日々従事している。「どこをどのように剪定するかで、アジサイの未来の形が決まる」と語る南嶋さんの作業は、まさに自然との対話そのものだ。
二人が大切にしているのは自然との共生で、施設整備にも環境配慮の視点が活かされている。展望テラスや木道、ウッドデッキを整備し、多摩産のスギやヒノキを使って伝統的な木工技術で建設してきた。特に基礎には、コンクリートを極力使わない「木基礎構造」を採用。国立公園整備の専門家の知見も取り入れ、景観を壊さず、植生や生き物に負担をかけない工夫が随所に施されている。「木を使うことで自然環境との調和が保たれ、昆虫や植物とも共存できる空間が生まれる」と高水さんは語る。受付カウンターもウッドデッキに併設し、入園料を運営費や整備費にあてることで、持続可能な運営体制を築いている。伐採した木はベンチや土留めに再利用し、水は山の水源を活かすなど、循環の仕組みも整えている。
「花を植えると、町の景色が変わるだけじゃなく、人の心も和らぐんです」。高水さんのこの言葉が象徴するように、あじさいは地域の景観だけでなく、人々の関係性や誇りを育む存在だ。“一人の想い”から始まった南沢あじさい山は、今や“みんなの場所”として育まれている。

南嶋祐樹さんは、アジサイの畑の管理と維持を担当。

森の木の下枝を剪定することで、アジサイに日光が当たるようになる。

鑑賞から体験する旅へ 南沢あじさい山で出会う人と暮らし

キャンプ場「自然人村」に新しく建設された宿泊施設。(画像はCG)
南沢あじさい山はいま、訪れる人や地域を巻き込みながら、多彩な体験の場へと広がっている。
初夏のあじさいシーズンには、斜面一面に咲く花を眺めながら散策できる。途中には腰を下ろせるベンチや東屋があり、入口には地元の住民が野菜や加工品を並べる小さな露店も出て、訪れる人と地域の交流の場となっている。敷地内では地元食材を使った軽食や飲み物のキッチンカーが登場する日もあり、自然に囲まれてひと休みできるのも魅力だ。
この山ならではの体験は「手を動かすこと」である。南嶋さんが案内する体験ツアーでは、植栽や下草刈り、剪定などの作業に挑戦できる。自ら鎌や鋏を手にして加わることで、整備そのものが山を守る営みであることを実感できるのだ。
地域とのつながりを感じられる体験としては、JR武蔵五日市駅前で開かれる「五市マルシェ」がある。毎月第3土曜日(7〜9月・12〜2月を除く)に開催され、地元農産物やクラフト品が販売されるほか、あじさいの花びらを使った染め物やリースづくりなど、季節に応じたワークショップも開かれ、訪れた人々に“持ち帰ることのできる自然体験”を届けている。こうした取り組みで、南沢あじさい山の魅力を駅前から広げている。
また高水さんたちは、あじさい山の近くで運営するキャンプ場「自然人村」において、新たな宿泊施設の整備を進めている。多摩産材を使った木造キャビンやサウナを備え、森や川の気配に包まれて過ごせる。「日帰りで終わらず、地域に滞在し、関わってもらえる環境をつくりたい」という思いが込められ、ワーケーションや研修、環境教育などにも活用されている。
一般の来訪者だけでなく、企業研修やCSR活動の受け入れも進んでいる。実際に企業スタッフが数名単位で訪れ、山の手入れや苗の植栽に参加することで、自然保全の一端を担いながら学びを深めている。「現場に来て、実際に汗をかくことで、都会では得られない体験が生まれる。企業の姿勢も変わっていくはずだ」と高水さんは語る。
「私たちが最初にあじさい山に来たときは、高齢者が中心でした。でも、今ではカップルやファミリー、若い世代の姿も多く見られるようになりました」と高水さんは話す。二人が中心となって整備を続けてきたこの地は、世代や価値観を越え、訪れる人々をつなぐ場所へと成長している。
こうした体験は、“消費する旅”から“関わる旅”への転換を促している。植え、守り、泊まり、学び、そして地域とつながる体験の積み重ねは、環境を守りながら楽しむエコツーリズムそのものだ。さらに2020年からは、山にとどまらず地域全体を“アジサイでつなぐ”「100万本のアジサイプロジェクト」が進められ、苗木の配布や植樹を通じて住民参加の輪が広がっている。

入口へと続く道には、住民が地元の産品を販売する小さな露店が並ぶ。

希望者と行ったあじさいの剪定と植樹の体験。

宿中では手づくりされたあじさい茶を楽しめる。

あじさいが最も美しいのは、早朝の光に包まれるとき。

南沢あじさい山
所在地:東京都あきる野市深沢368 【地図】
JR五日市線五日市五日市駅よりタクシーで約8分
車でのアクセス:
敷地内には駐車場はありません。
車でお越しの場合は、武蔵五日市駅近くのコインパーキングをご利用いただき、その後徒歩、タクシー、または季節限定のシャトルバスをご利用ください。
開花時期、営業時間、入場料の詳細については、ウェブサイトをご確認ください。
URL: http://ajisai-yama.com
SNS:Instagram https://www.instagram.com/ajisai_yama/


サステナブル・トラベラー/Gregory Starr(グレゴリー・スター)
アメリカから日本に移住し、50年以上にわたり日本在住。プレミア・ジャパンの編集長兼発行人、講談社インターナショナルの編集ディレクターを務めた。キャリアを通じて、日本の歴史、文化、国立公園、持続可能性に関する取り組みを数多くの出版物で取り上げる。また、日本観光庁の「地域観光資源多言語支援プロジェクト」に数年間携わり、最高位のSランクライターとして表彰。
※本内容は、「公益財団法人 東京観光財団 環境配慮型旅行推進事業助成金」を活用して実施しています。
文/All About Japan編集部 写真/湯浅立志