東京・奥多摩発の地方創生モデル「沿線まるごとホテル」の挑戦
日本が抱える少子高齢化の問題は、さまざまな分野に暗い影を落としています。そのひとつが、地方在住者の日常生活を支える鉄道の「赤字ローカル線問題」。過疎化による乗降者数減少で、存続が取り沙汰されている沿線は全国に見られます。
日本一の人口を抱える首都・東京も例外ではありません。都西部を走るJR東日本の「青梅線」、なかでも深刻な利用者数減少に見舞われているのが、青梅駅~奥多摩駅間。全13駅中、11は無人駅になっており、このまま手をこまねいていては、 更なる利用者の減少を招いてしまう――本記事では、その状況を打破すべく立ち上げられた、ユニークな観光ビジネスを取材しました。13駅を結ぶ沿線約18.7kmと、その近隣地域を一つのホテルに見立てる「沿線まるごとホテル」です。
隣村の「分散型古民家ホテル」が着想の原点
JR東日本八王子支社地域共創部マネージャーと、沿線まるごと株式会社取締役を兼任する会田均さんに、設立の経緯をうかがいました。
「JR東日本では、青梅線の路線維持・活性化に向けて、さまざまな取り組みを展開してきました。東京でありながら、駅を降りてすぐに本格的な自然やアクティビティを楽しめる沿線として、2018年から青梅駅~奥多摩駅間を『東京アドベンチャーライン』と命名。これに関連して、運転体験やスタンプラリー、車内イベントなどを定期的に行っています。もちろん一定の集客はあるのですが、一時的な成果に終わる場合が多いことがネックでした。我々としては、1万人が1回来て終わりではなく、100人が100回来るような事業に育てたい。観光を軸とすることは変えず、持続可能な集客策を模索していた折、奥多摩町に隣接する山梨県小菅村で、2019年8月に『NIPPONIA 小菅 源流の村』 が開業しました。このビジネスモデルが『沿線まるごとホテル』の着想に結びついたのです」
「NIPPONIA 小菅 源流の村」は、「700人の村が一つのホテルに。」をコンセプトに、地域全体を一つの宿に見立てる「分散型古民家ホテル」。地域内に点在する空き家を宿泊施設にリノベーションし、地域内の食堂・商店・温浴施設なども利用してもらって、地域全体で観光客をもてなす事業です。会田さんは「この事業を青梅線沿線で展開できないか」と考え、NIPPONIA 小菅の事業者である株式会社さとゆめの代表取締役、嶋田俊平さんに共創をもちかけました。そして2021年12月、JR東日本とさとゆめがほぼ半々の比率で共同出資した「沿線まるごと株式会社」が設立されたのです。
「沿線まるごとホテルは、簡単に言えば“ホテルを横に倒した”宿泊施設。青梅線がエレベーター、駅はホテルの各フロアと見立て、降りた無人駅がチェックインするフロント、地域の道路がホテルの廊下、客室が空き家をリノベした古民家、そして地域住民がホテルスタッフというイメージです。今年5月には、沿線まるごとホテルの中核となる施設 『Satologue(さとローグ)』を開業。築130年ほどの古民家をリノベーションしており、レストラン『時帰路(TOKIRO)』と、サウナ『風木水(FUKISUI)』が宿泊棟に先駆けてオープンしています」
“沿線ガストロノミー”で地域の食の魅力を発信
7月初旬、AAJ Editorial Teamは午前の部の食事を予約し、Satologueを訪ねました。食事前には敷地内のフィールドを散歩。スタッフが、自生している草木や、たい肥から手作りして無農薬で育てている野菜畑、多摩川にそそぐ滝の水を活用したワサビ田やビオトープなどを案内してくれました。
食事はコース料理で、先ほどの庭で育てた野菜や近所の農家からお裾分けされた柚子やじゃがいも、前述の小菅村産の富士の介(キングサーモンとニジマスを交配させたブランド魚)など地域の食材をふんだんに使った“沿線ガストロノミー”。床座のカウンター席の窓いっぱいに広がる山々の緑や多摩川の清流の眺めも相まって、実に滋味深い、美味しい食事でした。
続いて、かつて味噌などを貯蔵していた蔵として使われていたコンクリート倉庫を改修したサウナへ。林業で栄えた歴史を持つ奥多摩の薪を熱源に使う、希少な“薪サウナ”です。さらに、滝から引き込んだ清流を張った水風呂、多摩川の急流が発する水音を聴きながら緑に包まれる外気浴も堪能。奥多摩ならではの「木」「水」「空気」を全身で感じて“ととのう”ことができる、ここでしか体験できないサウナでした。
「Satologueでも、奥多摩の文化や食、歴史に触れていただけますが、沿線まるごとホテルでは、もちろん13駅全域に範囲を広げ、沿線の暮らしを感じていただくことを目標としています。青梅線沿線にはかつて多くの林業従事者とその家族が暮らしており、彼らの集落が大きくになるにつれて、それを後追いするように駅がつくられた歴史があります。集落ごとに微妙に食習慣や文化、伝統が異なるため、我々は駅とその近隣地域をひとつのユニットと考え、それぞれの場所で、ガイドが引率する森林セラピーや、電動アシスト自転車、電動トゥクトゥクを活用したモビリティツーリズム、奥多摩で長年暮らしてきたお年寄りによる地元ガイドなどの実証実験を続けてきました」
地域の営みに触れる“地元住民のガイド”に共感
特に好評だったのが、住民の「おじいちゃん」による地元ガイドツアーだったとのこと。もちろん案内役の地元住民はガイド経験ゼロであり、当初は大いにとまどっていたそうですが「子どもの頃の思い出話をそのまま伝えていただければ」と説得。かくして人生初のガイド業に挑んだところ、ツアー参加者からは「初めて訪れたのになぜか懐かしさを感じた」「東京にこんな場所があったのかと大きな発見をした思い」などの声が多く寄せられました。大役を務めた地元住民も「自分にとって当たり前だった営みが、こんなに人の心を打つのか。若い人が自分の住んでいる街に共感してくれることが、これほどうれしいとは」と涙混じりに語ったそうです。
「奥多摩エリア在住者を媒介者として沿線の暮らしに触れていただくためには、このように地元住民のご協力が欠かせません。JR東日本のイベントなどを通じて築いてきた関係性や、さとゆめさんが日本各地で積み上げてきた地方創生の経験を活用して、徐々に住民の理解が広がってきました。住民の皆さんが沿線住民の人口減少が加速して危機感を募らせていたこともさることながら、それなりに人馴れしている“都民”ならではの開いたマインドや協調性も作用して、沿線まるごとホテルの基礎が築かれてきたと考えています。現在では“ホテルの内外をきれいにする”目的も兼ねて、青梅街道をはじめとする生活道路、駅舎、多摩川の清掃などにご協力いただく方も増えました」
こうした取り組みを経て、足元を固めてきた沿線まるごとホテルへの評価は高まっています。2023年9月には、第7回ジャパン・ツーリズム・アワード最高賞「国土交通大臣賞」と「学生が選ぶジャパン・ツーリズム・アワード賞」をダブル受賞。地方自治体や、観光、まちづくりなどを学ぶ大学ゼミなどの視察も増えているそうです。
2025年春にはSatologue敷地内に、客室4つを収める宿泊棟が完成予定。先述したレストランでの朝夕食とサウナ利用、暮らし体験ツアーなどを含めて、料金は1泊1人40,000円台を想定しています。
「これまで奥多摩地域における観光消費額は、1日あたり1名約5,000円未満が約7割を占めており、経済効果は低いままでした。それもふまえて、Satologueレストランのコース料理は5,500円としたのですが、多くのお客様から『もう少し高くても良いくらい』といった声を頂戴しております。したがって、1泊40,000円台の設定も妥当であろうと考えています」
何より宿泊いただくことで、奥多摩滞在の時間が格段に長くなり、より沿線の魅力に気づいていただく可能性の拡大に期待している、と会田さんは言います。
「青梅線沿線には、多摩川源流のSUP、トレッキング、老舗酒造の酒蔵見学、ワサビ田ツアー、観梅、奥多摩湖観光、御岳山の宿坊など、実に多様なアクティビティがそろっているのですが、これまでのお客様はそれらを1~2ヵ所体験して日帰りされてしまうケースも少なくありませんでした。しかし、宿泊いただければ時間に余裕を持って巡っていただくことができ、点と点が沿線を介してつながって“線”になる。これこそが沿線まるごとホテルの理想とするところです。新規の空き家情報は現在も寄せられていまして、順次、改修工事を計画中。2028年度までに新たに5棟ほどの開業を目指しています」
「沿線まるごとホテル」を日本の旅のフィナーレに!
宿泊施設の増加でホテルの活性化が見込まれる一方、その流れを堅調に維持拡大していくためには、やはり「人材」が重要とのこと。
「人材はまさにこの事業の根幹であり、同時に課題でもあります。沿線地域に雇用を生む意味では地元採用が理想的ですが、例えば都心との二拠点居住、移住者、さらには外国の方に対しても広く採用の対象を広げたいと思っています。ホテルであるからといって、ホテル勤務や接客業の経験は必ずしも求めていません。むしろ大切なのは、沿線まるごとホテルの趣旨を理解し、奥多摩の既存コミュニティに入り込める柔軟性、協調性を持っていることです。事実、Satolougeのスタッフには、前職は観光とは関係のない仕事だった者も含まれていますが、コミュニケーション力に長けているため、しっかり業務を遂行しつつ、近隣住民にも愛される存在になっています」
外国人スタッフの採用も視野に入れているのは、インバウンド利用増加にも大きな可能性を感じているからだそうです。
「奥多摩は、国立公園に指定されている大自然に囲まれているエリア。山間部に点在する日本の原風景とも言える家並みや文化、歴史は、浅草、銀座、渋谷では決して経験できない、東京の新たな魅力として深く記憶に刻まれるはずです。願わくば、日本の旅を締めくくる最後の宿泊地として沿線まるごとホテルを選んでいただきたいですね。これは、長期の海外旅行における最終訪問地が、その人の印象に強く残ることが多いだけに、奥多摩=日本といったイメージを持っていただければ……という“野望”です(笑)。加えて、都心まで2時間程度で移動でき、成田・羽田空港へも容易にアクセスできますしね」
沿線まるごとホテルのツーリズムモデルの確立後は、青梅線同様に沿線地域の過疎化、乗降者数減少の問題を抱える他の沿線にもこの事業を展開したいと会田さんは力を込めます。
「沿線まるごと株式会社は、JR東日本の管轄エリア外でもビジネスを展開していくことが可能です。2040年までに全国の30沿線で“東京発の地方創生”を目指します」