小笠原諸島サステナブル・ツーリズム Part.1 母島バイオトイレプロジェクト
取材のダイジェスト動画はこちら
小笠原諸島は、東京から南へ約1000キロ離れた列島です。ここへ向かう唯一の手段は片道24時間の貨客船。多くの希少種や固有種が生息する豊かな生態系を有し、ユネスコの世界自然遺産に登録されています。小笠原諸島に二島しかない有人島の一島、母島(ははじま)では、手つかずの自然を残し、独自の生態系を守るための自然保護活動が行われています。その近年の取り組みの一環が、サステナブルなし尿処理システムである「バイオトイレ」の設置です。私たちは、この魅力的な島を訪れ、バイオトイレ設置事業の効果と母島の自然環境の現状について、関係者に話を伺いました。
【 Islander①】人と自然と共生共存を実現するためバイオトイレへの期待/林 賢一さん(小笠原母島観光協会会長)
林 賢一さんが会長を務める一般社団法人小笠原母島観光協会の役割の一部は、毎年母島を訪れる3,000人程度の観光客のニーズと、母島の人口約450人ほどの住民のニーズとすり合わせを行うことです。これには、観光が地域の水資源や、し尿処理に与える負担を軽減することも含まれます。その重要な取り組みのひとつとして、最近、電力および上下水道網を必要とせず独立的にし尿処理が可能なバイオトイレが設置されました。このトイレが設置されたのは、観光やレジャーの人気スポットである北港です。「バイオトイレは島内で消費される水とエネルギーの量を減らすだけでなく、停電や断水の可能性がある自然災害時にも頼りになります」と林さんは言います。
バイオトイレには数多くの利点があります。バイオトイレは衛生的で、環境への負荷が低く、メンテナンスの労力もそれほどかかりません。簡単な操作で使用できるものの、水も電気も使わないという環境に優しい設計です。バイオトイレで用を足すと、近くに設置されたソーラーパネルで電力を供給し、トレイのモーターがあらかじめ入っているおがくずとし尿を攪拌します。こうして処理されたし尿は、一定期間が経過すると分解され、肥料として利用できるようになります。バイオトイレの運用も同様にサステナブルで、必要なメンテナンスは週一回の清掃とトイレットペーパーの交換、および、年2回のモーターの点検とおがくずの交換だけです。
バイオトイレの導入は小笠原諸島全域にまたがる環境保全への取り組みの一環ですが、林さんは、こうしたトイレの存在は自分たちの取り組みを視覚化するという意味でも重要だと考えています。「私たちの活動の中には、島の人たちにさえ認知されていないものもあります」と林さんは言います。「環境への配慮の必要性を視覚的に訴えるバイオトイレは、人々の自然に対する意識を変えるのに役立ちます」また、トイレが話題になることもプラスの要素です。「ガイドさんたちにとって、このトイレは人間が自然環境に与える影響について話すきっかけになると思います」
【 Islander②】海の宝石、アオウミガメと共に歩む 小笠原母島で環境保護をリードするエコツアーガイド/川畑 豪也さん (母島自然ガイド「マミー・シャーク」)
川畑 豪也(かわばた こうや)さんが母島に夢中になったのは、11年前にアオウミガメの研究者としてこの島を訪れたことがきっかけでした。その後、母島でエコツアーの会社を立ち上げました。川畑さんは、自身の研究をもとに、各種団体や企業と自然環境保全戦略についてよく意見交換を行っています。この島の親密なコミュニティの一員としてあたたかく迎えられ、家族のように扱ってもらっている、と川畑さんは語ります。
母島に10人程しかいないエコツアーガイドのひとりである川畑さん。ツアーで非常に忙しくなることもありますが、母島を訪れる人たちに、自分の愛する母島とそこに暮らす小笠原の固有種以外にも様々な動植物についての知識を共有するのが大好きだそうです。「ほとんどの観光客は、母島の希少な動植物や野生生物の保護に協力したいという強い意欲を持って来ているので、熱心に自然の話を聞いてくれます」と川畑さんは言います。川畑さんは、将来的に島内にもっと多くのバイオトイレが設置されることを望んでいます。バイオトイレは、観光が自然環境に与える影響について、観光客に伝える手段になるだけでなく、そのような影響を軽減する手段にもなるからです。川畑さんによると、ハイキング中や集落から離れた場所で使用されている携帯トイレは、ゴミとして処理しなければならないため、犬の散歩時に使うマナーバッグと同程度の環境負荷をもたらします。
川畑さんは、サステナブルなライフスタイルを実践している多くの地元住民のひとりとして、普段から水筒やエコバッグを持ち歩いたり、海岸清掃活動をしたり、アオウミガメの保護事業をしています。地域コミュニティや自然環境の保全に貢献し、野生生物を守ろうとする川畑さんの熱意に感銘を受けました。
【Islander③】小笠原母島の自然保護と進化 自然保護官としての視点/伊藤百合香さん(環境省母島自然保護官事務所)
環境省の自然保護官である伊藤 百合香さんの仕事は、小笠原諸島の自然環境の保全です。東京で生まれた伊藤さんは、2年前から母島に駐在して働いています。伊藤さんは、なぜバイオトイレなどの環境保全の仕組みを通じて母島の独自の自然環境と固有種を守ることが必要なのかを語ってくださいました。
「小笠原の島々は火山活動によって形成され、大陸 とは一度もつながっていたことがありません」と伊藤さんは指摘します。つまり、この島の生物の多くは鳥や風、流木などにのって島に運ばれて 来たのち、独自の進化を遂げたものなのです。母島は父島に比べて標高が高く、湿度の高い湿性高木林が見られることも特徴です。伊藤さんは陸産貝類を例に、外来種がいかに在来生物を脅かすかを説明してくれました。「隣の父島 では、ここ30 年ほどの間に、外来のプラナリアの一種が島に持ち込まれ、捕食によって固有種の陸産貝類が絶滅寸前に追い込まれました。母島ではそのプラナリアは侵入していないため、今も固有の陸産貝類が多く見られますが、他にも陸産貝類を捕食する外来種が侵入し、影響が懸念されています。」と伊藤さんは言います。また、他にも絶滅が危惧される種のひとつがオガサワラカワラヒワです。オガサワラカワラヒワは母島列島と南硫黄島にしか生息していない鳥ですが、繁殖する無人島でネズミに卵を食べられたり、母島ではネコに襲われたりして、その個体数が急速に減少しています。「この鳥を保護するため、(母島列島の)無人島でネズミを駆除しているほか、この鳥を含めた様々な固有鳥類の保全のために、母島島内の野生化したネコを捕獲して本土に移送したりといった取り組みを行っています」
島内では、行政機関や島内の団体が協力しあい 、種の保全のための様々な対策が実施されています。海水や酢で靴を洗うことも対策のひとつです。例えば、私たちは母島で下船する前と島内の各トレイルに立ち入る前に靴を洗いました。この対策により、靴に付着した泥に紛れて外来の動植物が侵入したり、島内に広がることを防ぐことが出来ます。また、特に重要な地域である石門エリアに入るときに は、講習を受講し「認定」されたガイドの同行が必須となっているなど管理がされています。伊藤さんは、母島を観光する際は、この島の豊かな 湿性高木林を案内してくれるガイドを予約することを勧めています。「エコツアーの登録ガイドは、この非常に特別な場所の保全に配慮しつつ、観光客に最高の体験を提供してくれます」伊藤さんは、バイオトイレの設置を歓迎しています。バイオトイレは、自然保護区域の環境負担や水資源の過剰な使用を減少させるのに最適だと考えるためです。
母島の繊細な自然環境に見る明るい未来
母島への訪問で、私たちは熱心な地元の自然ガイドや自然保護官、観光関係者など、様々な人に出会いました。彼らは皆、この島のユニークな動植物や野生生物を保護・保全するため、情熱的に活動していました。私たちは最後に、熟練の自然ガイドで東京都レンジャー(自然保護指導員)の宮川 五葉(みやがわ いつは)さんの案内で森のトレイルを歩き、熱帯の鳥や木々、彼女自身が整備に協力した展望スポット、この島の固有種である小さなカタツムリや昆虫などを見ることができました。私たちだけでは、これらの自然の宝物を見つけることはできなかったでしょう。宮川さんは、新しいバイオトイレについて、他の人たちと同じように肯定的な感想を述べています。「観光客も住民も、バイオトイレをとても高く評価しています」と宮川さんは言います。「観光客は、バイオトイレがあまりに清潔で臭いもなく利用が簡単なことに驚きます」
私たちが母島で過ごした時間は短かったけれど、その体験はとても感動的でした。今回の訪問では、母島だけでなく、日本中、ひいては世界中の他の観光地が、地元の人々や地域の自然環境のニーズとバランスをとりつつ、バイオトイレなど様々な自然保護施策や積極的な地域社会との関わりを活用して観光的な魅力を作り出していることについても学びました。
【レポーター】ジョイ・ジャーマン=ウォルシュ
ハワイから来日し、1996年から広島で地域ウェブサイト「GetHiroshima」を共同立ち上げ、大学でビジネス、コミュニケーション、観光学を教え、2019年にサステナビリティに特化したビジネスInboundAmbassadorを立ち上げた。ジョイが制作する番組「Seek-Sustainable-Japan」では、日本各地の専門家、作家、職人、企業人などとの470回を超えるインタビューを行っている。
本内容は、公益財団法人東京観光財団の環境配慮型旅行推進事業助成金を活用しています。